宮古島の令和の赤ひげ先生の経歴は? 北海道の赤ひげのプロフィールも! 赤ひげ先生とは何?【たけしの家庭の医学】

2019年11月26日(火)の 19時00分~20時54分 放送されるテレビ朝日系列の番組

「名医とつながる!たけしの家庭の医学」

は心臓を老けさせない食材&おらが村の名医!という2本立てで放送されます。

引用元:ザ・テレビジョン

たけしの家庭の医学の人気コーナー【おらが村の名医!】ではもともと医者のいない村だった沖縄県の宮古島南部地域に22年前、診療所を設立し訪問診療をメインに人々の命を救う【令和の赤ひげ先生】が医療弱者を救うため、日々奮闘する姿を密着ドキュメントとして放送します。

そんな宮古島で人々のために奮闘する令和の赤ひげ先生のこれまでの経歴や以前「たけしの家庭の医学」で放送された北海道の赤ひげ先生のプロフィールなどの情報、そもそも赤ひげ先生とは何なのかご紹介いたします。

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宮古島の令和の赤ひげ先生

今回放送の名医とつながる!たけしの家庭の医学で「令和の赤ひげ先生」として紹介された先生ですが、泰川恵吾先生という医師の方で医療法人鳥伝白川会ドクターゴン診療所で日々、宮古島の人々の健康のために訪問診療などの医師活動をされています。

【令和の赤ひげ先生】宮古島の名医泰川恵吾先生の経歴

引用元:医療法人鳥伝白川会

名前 泰川恵吾(やすかわけいご)

出身地は沖縄県宮古島で最終学歴は東京都三鷹市の杏林大学医学部卒業し現在は医療法人鳥伝白川会の理事長、ドクターゴン診療所で医療活動をしています。

昭和38年7月25日に沖縄県宮古島で生まれる

平成元年3月 杏林大学医学部卒業

平成元年 東京女子医科大学救命救急センター配属

平成4年 東京女子医科大学救急医学教室 救命救急センター救命ICU医長高気圧酸素治療チーフ

平成6年 東京女子医科大学救命救急センター集中治療室医長

平成7年 茨城牛久愛和病院 救急医療科医長

平成8年 東京消防庁幡ヶ谷消防学校 救急救命士専任講師兼任

平成9年 東京女子医科大学救命救急センター治療室医長

平成9年  伊志嶺医院開設

東京女子医科大学救急医学教室非常勤講師

平成12年 ドクターゴン診療所開設

平成13年 医療法人鳥伝白川会理事長

平成16年 鎌倉常盤クリニック開設

平成22年 ドクターゴン鎌倉診療所解説

平成23年 防災医療航空支援の会(AMSAD)設立・理事長

【令和の赤ひげ先生】宮古島の名医泰川恵吾先生が医師になった意外な経緯

今回たけしの家庭の医学で紹介された「令和の赤ひげ先生」こと宮古島の名医泰川恵吾先生が医師になった経緯が意外でしたのでご紹介いたします。

昭和38年の7月25日に沖縄県の宮古島に生まれた令和の赤ひげ先生こと泰川恵吾先生ですが、父親がイギリスのグラスゴー大学で公衆衛生学の教鞭を執るためにスコットランドのエジンバラに一緒に引っ越します。

ですがエジンバラには日本人学校がなく、泰川恵吾先生は学校には通学していなかったそうです。

その後小学校3年生の時、父親が慶應義塾大学医学部助教授になることが決まり東京へ移住します。

泰川恵吾先生の小学校時代はちょうど人類が月を目指すアポロ計画の真っ最中で泰川恵吾先生もアポロ11号に感化され、宇宙飛行士になりたいという夢を持ちます。

泰川恵吾先生は昔から頭が良く中学校時代にはオール1、高校でも成績は常に上位だったそうです。

中学高校と進学しても小学校時代からの夢である宇宙飛行士には憧れ続けていた泰川恵吾先生は、高校卒業後に航空自衛隊に入隊します。これも航空機のパイロットになりそこから宇宙飛行士を目指すためのものでした。

ですが、父親が精神科医で母親が看護師という医師家系でご両親は宇宙飛行士の夢に反対していました。

そんな父親が宇宙飛行士は医師の博士号を所持している人が多いということが記載されたリストを泰川恵吾先生に見せ、宇宙飛行士になるためには医師免許が必要だと知った先生は息子を医師にしたい父親の思惑通り大学の医学部を目指します。

そんな泰川恵吾先生ですが医学部の試験に一度落ち、そこから1年間医学部専門の予備校に通います。

その後医学部に無事合格し、東京都三鷹市の杏林大学医学部に入学します。

泰川恵吾先生は卒業後に宇宙飛行士になるため渡米するつもりで英語の勉強をするなど具体的に準備をしていましたがそこで父親が他界してしまい経済的な理由で日本で医師になることを決めました。

そして現在ではなかなか医療を受けられない宮古島の島民のために奮闘する令和の赤ひげ先生として活躍しています。

まさか泰川恵吾先生が宇宙飛行士を目指していてそれがきっかけで最終的に医師になったとは意外でした!人生なにがどう転ぶかわからないものですね。

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【過去の放送】北海道の赤ひげ先生のプロフィール

過去のたけしの家庭の医学で紹介された北海道の令和の赤ひげ先生こと日本最北端の島、礼文島で人々のため医師活動をしている升田鉄三(ますだてつぞう)先生について紹介します。

引用元:礼文町

名前:升田鉄三(ますだてつぞう)

出身地は北海道礼文島で最終学歴は秋田大学医学部。

診療所での診察の他に、体の不自由な方のため訪問診療を35年以上も行っているまさに令和の赤ひげ先生です。

秋田大学卒業後はそのまま秋田大学系の病院に勤務していましたが1986年に地元である北海道礼文島に戻り現在にいたるまで島民の健康を守る貴重な医師として活躍しています。

そもそも赤ひげ先生とは何?

今回紹介の二人の医師ですがどちらも島民のために尽くしておられる素晴らしい方で令和の赤ひげ先生と呼ばれていますが、そもそも赤ひげ先生とは何なのかご紹介いたします。

赤ひげ先生とは山梨県出身の小説家である山本周五郎の時代小説「赤ひげ診療譚」に登場する町医者です。

赤ひげ先生は貧乏な人からお金を受け取らなかったり、他の医者が嫌がるような病人もこころよく診るといった素晴らしい人格をもった町医者です。

そのことから「赤ひげ先生」が理想の医者の代名詞として使われるようになりました。

また、赤ひげ大賞という日本医師会と産経新聞社が主催の地域に密着し人々の健康を支えている医師を表彰するものがあり、毎年全国の都道府県医師会から推薦された候補者のうち5人が選ばれ表彰されています。

宮古島と北海道の令和の赤ひげ先生の経歴、 赤ひげ先生とは何?【たけしの家庭の医学】まとめ

・宮古島の令和の赤ひげ先生は泰川恵吾先生でドクターゴン診療所を拠点とし島民の健康を守るため日夜奮闘している

・泰川恵吾先生はもともと宇宙飛行士を目指していてそれがきっかけで医師になった

・北海道の令和の赤ひげ先生は升田鉄三先生で地元礼文島で島民のために訪問診療を35年以上も行っている

・「赤ひげ先生」とは山本周五郎の小説に登場する素晴らしい人格をもった町医者で現在では理想の医者の代名詞として使われる。

・赤ひげ大賞という地域密着で活躍する医者を表彰する賞が毎年ある

以上でたけしの家庭の医学で紹介の宮古島と北海道の令和の赤ひげ先生についてのまとめを終わります。最後まで読んでくださった方々ありがとうございました!

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